お城の天守閣はなぜ作られたのか?

それは、城の役割が、たんに軍事的な必要だけでなく、
領民を畏怖させる領主の権威の象徴という
政治的な意味も加味されてきたからなのです。
こうして、天正四年(一五七六)に信長が安土城を築いて以来、
天守閣は城主のステータスシンボルとしての役割をはたすために、
大規模な構造になっていきました。
なかには、天守閣の建物だけで二十間(約三十六メートル)もあったというから、
土台の石垣の高さを入れると、
十五階建てのビルと同じくらいの高層建築もあったことになる。
ところで、天守閣はふつう、城の西北隅に築かれましたが、
城は、だいたい南か東が大手、つまり正面になっていたので、
西北隅はそこからできるだけ離れた場所というわけです。
南が大手の場合などは、東北隅も考えられますが、
この方角は方位学上鬼門とされ嫌われたので、
実例はきわめて少ない。
なお、天守閣の屋上にあるしゃちほこは火除けのまじないで、
仮空の魚しゃちはよく潮を吹いて火災を防ぐという故事に由来し、
禅宗の寺が用いていたものを、室町末期から借用したのです。
なお、それ以前は虎などが取りつけられていました。
城とまぎらわしい砦についても、かんたんに述べておきます。
砦は、時には城とおなじ程度の規模の場合もありますが、あくまでも
その施設が一時的な必要で作られ、永久的でないものをいいます。
構造は城を簡略化したものと考えてよい。
では、どんな場合に作られるかといえば、戦場と本城が離れていて
途中に連絡場がほしいとき、本城が包囲される恐れがあって
脱出口をあけておかねばならないとき、
逆に敵の本城と出城などの連絡を断ち切るときなどです。

いかがでしたでしょうか?
巨大な天守閣ができるようになったのは、
「城の役割が、たんに軍事的な必要だけでなく、領民を畏怖させる領主の権威の象徴という政治的な意味も加味されてきたから」だったのですね。

戦国時代大全
稲垣史生/著 本体1,000円 ISBN:978-4-8454-0991-4
1章 戦国武士道ものしり8の考証
―下剋上がなぜ生まれ、広がっていったか
2章 武士の生活ものしり11の考証
―どういう制度のもとでどう行動していたか
3章 戦国風俗ものしり11の考証
―激動の時代に揺れ動いた男と女の人間模様
4章 戦略・戦術ものしり11の考証
―乱世ゆえに生まれた陰謀奇略
5章 城の攻防ものしり13の考証―
一国の運命を賭けていかに秘術をつくしたか
6章 忍者ものしり6の考証
―この時代はどこを向いてもスパイだらけ
7章 武器・武術ものしり18の考証
―刀、弓矢、鉄砲の使いこなし方から謎の新兵器まで
8章 合戦場ものしり17の考証
―修羅場だからこそあらわになる人間性
9章 実録・合戦例ものしり6の考証
―戦国時代を象徴する名将・知将の戦いぶり


著者について

稲垣史生(いながき しせい)

時代考証家。明治45年富山県生まれ。

早稲田大学卒業後、東京新聞勤務。

のち時代考証家として大河ドラマ『春の坂道』『赤ひげ』『勝海舟』『風と雲と虹と』などを担当。

昭和50年、第一回放送文化基金賞を受賞。平成8年逝去。

著書に『時代考証事典』『続・時代考証事典』

『考証戦国武家事典』(新人物往来社)、『考証 戦国おもしろ史談』(新人物文庫)ほか多数。