「栄水(さかえみず)」ってなに?平安時代は何を食べていたのか?

突然ですが問題です!
平安時代では、ある飲み物を
「栄水(さかえみず)」といいました。
それは一体、どんな飲み物なのでしょうか?

今回は、歴史学者の山中裕先生がお書きになった
『平安時代大全』(山中裕著/KKロングセラーズ)から
平安時代の食事情についてご紹介いたします!(以下、本文引用)

●腹がへっても一日二食がきまりだった

平安時代には食物を「クヒモノ」「タベモノ」「ヲシモノ」「ケ」などといった。
また、食事は一日二回であった。「日本書記」によると、雄略天皇の章に「朝夕御膳」とある。
天皇も正式に食べる回数は朝夕二回だったのである。
食事の時間は「禁秘抄」や「寛平御遺誡」によれば、朝は巳の刻(午前十時)、
夕は申の刻(午後四時)となっている。食事の内容は、主に穀類、野菜、鳥肉、獣肉、魚肉などであったらしい。
具体的にひえあわは、米、麦、稗(ひえ)、粟(あわ)、小豆、韮、竹の子、桃、海草、
鯛、年魚(あゆ)、螺(しじみ)、鮑(あわび)、なまこ、蟹、鮪、蠣、雁、鶉などである。

●御飯には二種類のたき方があった

主食の飯を、この時代は「イヒ」「モノ」「オモノ」「供御」「御台」などといった。
また飯をたくことを「カシグ」といった。
飯には二種のたき方があって、コシキで蒸したものを「強飯(こわいい)」といい、
柔らかくたいたものを「姫飯(ひめいい)」といった。
強飯は普通白いこわめしで「こわいい」という語は
「源氏物語」などによく出てくる。姫飯は「和名抄」では「比米(ひめ)」とも書かれている。
水を多くして米を煮たものであり、現在の飯の固さに近い。
強飯は椀のほかに笥、土器などに盛られたが、姫飯の場合は磁器の椀であった。
旅に持つ携帯食品には「乾飯(かれいい/ほしいい)」を利用した。

●漬物はこの時代から

食事のレパートリーも、時代がくだるにつれて増えてゆく。
なかでも蔬菜(そさい)類の漬物が、この時代になって急に盛んになる。
保存することを知り、味の多様さを考えるようになったわけである。
そして、さらには「あへもの」も食膳に出るようになる。
料理法は味噌、醤油、塩、酢、糟米などであえたようである。
この時代には砂糖はまだないので、
甘味料としては甘葛(あまづる)の汁や柿を乾して粉にして使った。
〔中略〕

●酒は当時の生活に欠くことの出来ないものだった

酒ははるか昔からあり、中国や朝鮮と往来するようになって醸造技術が大きく進歩した。
そして、宮中に「造酒司(みきのつかさ)」や「酒部司(さかべのつかさ)」が置かれるようになり、
生活に欠かせないものとなってゆく。
酒は「和名抄」によると「サケ」といい、「サカ」ともいった。
「栄水(さかえみず)」がつまってそう呼ばれるようになったのだろうと考えられてもいる。
また、酒を「キ」とも呼んだ。白酒を「シロキ」といい、
敬語をつけると「御酒(みき)」あるいは「大御酒(おおみき)」となる。
敬語をつける場合は、神前または天皇に奉る酒のことをさす。
酒は市でも売られ、庶民の喉をうるおしていたが、悪徳商人は水を割って売っていたという。

いかがでしたでしょうか?
「栄水(さかえみず)」が詰まって、
酒(サケ、サカ)と呼ばれるようなったと考えられているのですね〜。

平安時代大全
山中 裕/著 本体1,000円 ISBN:978-4-8454-0996-9
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第3章 「皇族・貴族」ものしり41の史料
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第5章 「冠婚葬祭」ものしり22の史料
第6章 「風俗文化」ものしり39の史料
第7章 「宗教」ものしり25の史料
第8章 「文学」ものしり46の史料
第9章 「荘園」ものしり14の史料


著者について

山中 裕(やまなか ゆたか)

1921年生まれ。1943年東京帝国大学文学部国史学科卒業。
東京大学史料編纂所教授、関東学院大学文学部教授、田園調布学園大学教授、
のち名誉教授を歴任。文学博士。2014年逝去。
著書に、『平安朝文学の史的研究』『和泉式部』吉川弘文館、
『源氏物語の史的研究』『栄花物語・大鏡の研究』思文閣出版、ほか多数。