DeNA三浦大輔新監督の名言
2020年11月17日、横浜DeNAベイスターズの新しい監督に、三浦大輔氏が就任されました。
三浦新監督といえば、現役時代は、横浜DeNAベイスターズでピッチャーとして大活躍!!

 

 

現役時代(三浦大輔著『打てるもんなら打ってみろ!』KKロングセラーズ刊、より引用)
「ハマの番長」という愛称で親しまれ、トレードマークはリーゼントヘア、多くの野球ファンに愛される、押しも押されぬ球界のレジェンドです。
「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」という
ギネス世界記録を達成したことでも有名です。

 

現役時代(三浦大輔著『打てるもんなら打ってみろ!』KKロングセラーズ刊、より引用)

 

そんな三浦新監督ですが、
現役時代に打てるもんなら打ってみろ!』
(KKロングセラーズ刊/2008年)
という自叙伝を出版されています。
普通「大活躍したプロ野球選手」というと、
「子供の頃から野球がうまくて、練習に練習を重ね、高校生のときに甲子園で実績を上げ、ドラフト会議からマスコミに注目され、鳴り物入りでプロへ」
という、絵に描いたような、エリートコースを想像される方も多いと思うのですが、
三浦新監督の場合は、
幼少期や学生時代に幾多の挫折や失敗を経験され、
たくさんの波乱を乗り越えて、それでも、夢に向かって、努力を重ね、
輝かしいスター選手へと這い上がってきた、
という、いわば、「叩き上げ」で今の不動の地位を勝ち取った方で、
それだけに、
夢に向かって頑張っている人を勇気付ける、
微笑ましいエピソードがいっぱいあります。
そこで、そんなエピソードを本書より引用してご紹介させていただきます。
まず、幼少期から、阪神ファンの父親の影響で、環境的には野球に恵まれていたとのことですが、

 

「弟は比較的真面目に親父の言いつけを守っていたが、
俺は練習嫌いだったので親父の姿がない時は、やったふりをしてサボっていた。
しかし、そこは子供の浅知恵、恐らく形跡が違うなどで親父は俺がズルをしたことに気づき、
時にはしばかれたりもした。」
練習嫌いだったそうです。……意外!?
そして、中学生のときに所属していたシニアチームにいたときに、
高田商業高校の山下善啓監督に目がとまり、同校へ進学するのですが、

 

〔高田商業高校は〕一回戦勝っても二回戦では敗退、そんなチームだった。
俺は俺で、名門ではなく、弱いチームに入って自分で強くしてやろうという気持ちがあった。」
といいます。
それで、高田商業高校(奈良県)の野球部に入部するのですが、はじめから挫折の連続。

 

〔高校〕1年の夏の大会、俺は2回戦で投げさせてもらったが負けた。
そして3年生が引退した秋、はじめてエースナンバー『1』をつけてマウンドに立ったのだが、
ここでも負けた。その頃、俺のなかで『ある変化』があった。
練習がつまらなくなってしまったのだ。」
そして、その挫折からすぐに立ち直れた!?……わけではなかったようです。

 

「子供の時からずっと野球の練習をしていた。土曜も日曜も休みなく練習してきた。
下校のときなど、『じゃあ後でな』と遊ぶ約束をする友達を横目で見て、
すごく羨ましく思いながらグラウンドへ向かっていた。
俺も一度でいいから思いっきり遊んでみたいな、そんな思いがここにきて爆発してしまったのだ。
遊ぶといっても、中学の時のツレとブラブラしたり、しようもない話をしたりという程度なのだが、
その程度のことも今まで経験したことがなかった俺は、とにかく遊んでみたかった。 」
さらに、この1回だけのサボりが、最悪の事態へとつながっていきます。
「最初は1日だけサボろう、という軽い気持ちだった。
ところがすぐにバレて監督やコーチから親のところに電話がかかってきたりして、
ヤバいな、怒られるなというふうになると、次の日も行きづらくなる。
それがどんどん続いて気がつけば練習だけではなく学校まで休みがちになる。
たまに行くと授業中はいいのだが、休み時間や昼休みになると、
野球部の同級生がきて「なんで、練習にこないんだ」とかいろいろ言われる。
それが嫌で逃げ回っているうち、学校に行っても居づらくなり、
授業も1時間だけ出て窓から帰ったりするようになった。
〔中略〕ちょっと遊んでみたかっただけなのに、どんどん深みにはまって、
気がつけば俺は完全に不登校という、とんでもないことになってしまっていた。 」
そして、さらにこんな発言まで……。

 

「ある時、ブラブラしていたら生活指導の先生に見つかって、
袋小路のようなところに追いつめられ、
捕まった俺はおふくろと一緒に放課後に学校へ行くことになった。
そこで生活指導の先生にしこたま怒られて、『おまえ、どうすんねん?』と聞かれた。
『すいません、これからちゃんと学校に行きます』の一言が出ず、
ヘンなところで突っ張っていた俺はついこう答えた。
『もうやめます』 」
……という、実際に高校中退しなかったものの、「中退します」発言まで飛び出しました。
このあと、紆余曲折があったものの、
山下監督や野球部の皆さんの友情、熱烈な励まし、
周囲の応援があって、高校時代の三浦新監督は立ち直っていくのですが、
その過程がまた凄まじく、
ドラマか映画のように感動的なのですが、
そのあたりの経緯は長くなりますのでここでは割愛させていただきます。
この不登校時代の挫折をバネに、猛練習を重ね、高校3年のときには、 甲子園の予選で、
全国的に知名度のある高校野球の強豪、天理高校と、互角にわたりあい、
僅差で敗退して甲子園にはいけなかったものの、大大大健闘されます!

 

高田商業高校時代(三浦大輔著『打てるもんなら打ってみろ!』KKロングセラーズ刊、より引用)
そのことが目に留まり、大洋ホエールズ(DeNA横浜ベイスターズの前身)の2軍へと
ドラフト6位で入団。マスコミは奈良新聞の記者ひとりだったそうですが、
そこから、入団後、2軍→1軍→スター選手、そして優勝、と
サクセスストーリーが、またすごい……。
ご自分のことを「負けず嫌い」という、三浦新監督ですが、
ただ単に「負けず嫌い」というだけではないように思わせてくれる、
こんな名言を残されています。

 

「よく子供に話すのは、いろいろな道があるということだ。

たとえば山に登っていて、急な道で行きづまってしまうこともある。

そんな時は、別のまわり道を探してそれを登ればいい。

要するに、頂上にたどり着けばいい。

真ん中がだめなら、右からでも左からでもいい。

いっそ、後ろにまわって緩やかだけれど長い登山道を選んでもいい。

夢や目標もこれと同じだ。たどり着くまでの道に正解はない。

最短距離を通ったところでたどり着けるものでもないし、様々な選択肢がある。

これをやらないと絶対たどり着けないというものでもない。

人にはいろいろな道がある。だから、なにかに挑戦して挫折することがあっても、

『僕にはこれは向いてないんだ。あきらめよう』とすぐに思って欲しくない。

ありとあらゆる道を試して欲しいと思う。  」

……とのことです。なんだか、勇気付けられるとっても素敵な言葉ですね!!!
ちなみに、
なぜ、「ハマの番長」というネーミングになったのか?
これについても大変面白いエピソードが書いてあります。
興味のある方はぜひ、読んでみてください。
さて、2021年は三浦新監督の率いる、新生「横浜DeNAベイスターズ」の
活躍に期待しましょう!きっとベイスターズファンの期待に応えるだけでなく、
日本のプロ野球をもっと盛り上げてくれるような
素敵な活躍を見せてくれるはずです!!!

 


 

『打てるもんなら打ってみろ!』
三浦 大輔 /著 本体1300円 ISBN:978-4-8454-2119-0

【目次】
第1章   絶対に負けたくない
● 打てるもんなら打ってみろ!
● サヨナラ満塁ホームランを浴びても膝をつかない
● 敵チームのファンの期待を溜息に変えた時
● 試合に負けて打撃のせいにするのは格好悪い
● 目標? そんなの全部勝ちたいに決まっている
● 投手に大切なのは、いかにマウンドの空気に早く慣れるかだ
● 先発投手の醍醐味と特権
● ライバルにアドバイスをする
● 特効薬はひとつでも多い方がいい
● バッテリーは互いを理解しなくてはいけない
● 横浜ベイスターズにまだ「エース」は存在しない

第2章   プロフェッショナルのこだわり
● 「プロ」として野球を続ける理由
● 「プロ」にとって「結果」とは何か
● 完投勝利、こんなに楽しいことがあるのか
● 「自分ができることをやりなさい」
● 普段通りにして試合のはじまる直前に高めるのが俺の集中術
● 「プロ」を支えるのは練習しかない
● 現状に満足しない人間だけが競争に勝つ
● 「みんながみんな、おまえの活躍を喜んでくれているわけじゃない」
● 「年俸」とは何か
● プロになった今、野球少年たちが憧れ、羨む存在でないといけない
● 俺がバラエティ番組に出演する理由
● 負けた時でもインタビューに答えるのが「プロ」
● 一生懸命やっている仲間だからこそ信頼関係が生まれる
● 俺が「リーゼント」にこだわる理由
● 「ハマの番長」を受け入れられたのは小さい女の子の一言
● 背番号「18」へのこだわり
● 優勝したらもう一度優勝したくなった

第3章   「反骨」が芽生えた少年時代
● 泣きながらコマまわしをした負けず嫌い
● 負けるとしばかれ、泣くとしばかれ
● 口を開けば「練習しろ」という怖いオヤジ
● 俺が野球部ではなくシニアチームを選んだ理由
● ピッチャーをはじめたのは中学2年
● カンニングのような「不正」は絶対にしない
● ビーバップハイスクールに憧れてた丸坊主
● 自分で告白したのにデートではしゃべれない少年
● 名門よりも弱いチームで甲子園を目指したい

第4章   波瀾万丈の高校時代
● 入学したらまわりが女子ばかりで驚いた
● 念願かなって入部、即レギュラー
● こうして俺は「不登校」になった
● 引くに引けずに「学校やめます」
● はじめてグーで殴られた
● 仲間たちから受けた「涙のフクロ」
● 今も忘れない山下監督の信頼の言葉
● 天理という名前に浮き足立ってコールド負け
● 「力投型というが、力み型だったな」
● 天理に勝たなくては甲子園には行けない
● 「プロに行きます」と宣言して周囲は大爆笑
● スカウトマンの前でいいところを見せよう
● なにかあるごとにマウンドに集合
● 流れが変わった運命の決勝戦
● 大洋ホエールズにドラフト6位、記者はひとりだけだった
● ライバル・谷口に言われた意外な言葉
● 不安もあったが、頑張れという言葉がうれしい
● 俺が高校野球で学んだこと

第5章   栄光と挫折のプロ人生
● 「三浦大輔」という選手を作りたかった
● 「ええっ? こんなオッサンと野球をするの?」
● 「1軍のバッティングピッチャーに行かせてください」
● 篠塚さんから奪った忘れられない初三振
● 引退セレモニーをやってもらえる選手
● 1軍で観衆の前でプレーする快感
● 「緊張はない。女の子としゃべる方が緊張する」
● プロに入ってはじめての挫折は「肝機能障害」
● 剥離骨折ではじめて自分からマウンドを降りる
● 肘が伸びない投げ方をすればいい
● 「二段モーション」誕生秘話
● 俺にとってはまだ解決していない「二段モーション」禁止について

第6章   ファンあってのプロ野球
● 長期契約、FA、メジャーについて
● 野球人気は落ちているのか?
● 「投手・三浦大輔」にとって「監督」とは?
● ボロボロになっても必要とされるかぎり現役を続けたい
● 連敗を救ってくれた恩師とファンの言葉
● 日の丸を背負うこととプロとはまったく別物だった
● ファンへの感謝は行動で表わしたい

第7章   ゴールデンスピリット賞と大和
● 自分が何か世の中の役に立ちたい
● 「夢をもつ大切さ」
● 誰にでも「可能性」があることを伝えたい
● 「今どきの子供」に思うこと
● 若い選手にも「学校訪問」をすすめる理由
● 「三浦大輔と勝負したい」という難病の少年
● 天国からのメッセージ

第8章   素顔の三浦大輔と家族
● 素顔の三浦大輔とは
● 格好いい生き方がしたい
● 女房は高校の先輩 きっかけは一通の手紙
● 初デートの後、そのまま練習へ
● 自分が投げている姿を子供たちに見せたい
● 家庭人と野球人のバランスは難しい
● これが三浦家流教育法だ!
● 格好よく行こうぜ!


著者について
三浦大輔(みうら だいすけ)
1973年 12月25日奈良県生まれ。
高田商業高校卒業後、ドラフト 6位で横浜大洋ホエールズ
(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。
横浜DeNAベイスターズの絶対的エースとして、
不動の地位を築き上げたハマの番長。
1998年には12勝をあげ、リーグ優勝に貢献。
2004年にアテネ五輪代表長嶋ジャパンで銅メダルを獲得。
2005年には最優秀防御率、最多奪三振で二冠を
達成。また 2007年、35イニング無失点の球団記録を更新。
三浦の信条である ”Hit it ! If you can.”
(打てるもんなら、打ってみろ!)通り、
最後まで諦めない魂の入った投球でファンを魅了。
得意のスローカーブや、様々な球種を駆使し、
打者から三振の山を築いている。
特に阪神戦に強く、史上最強の阪神キラーとも呼ばれた。
2016年に現役を引退して、横浜DeNAベイスターズの球団スペシャルアドバイザーに。
その後、2019年より同球団一軍投手コーチを務め、
2020年には、同球団二軍監督。2021年からは一軍の監督を務める。