人間強くなる為にはとことん絶望することも必要だ

新型コロナウイルス関連倒産や失業者の増加など暗いニュースが続いていて、
なにかと、悲観的になってしまう昨今ですが、「モタさん」の愛称で親しまれた、
精神科医・随筆家の故・斎藤茂太先生は「とことん絶望することも必要だ」と言います。

今回は、『楽天的になれる本』(斎藤茂太著・KKロングセラーズ刊)から
こんな一節をご紹介いたします。(以下、本文より引用)

「とことん絶望することも必要だ。腰が据わり、開き直りも生まれ、強くなれる」

好奇心いっぱいで何でもみてやろう、試してやろうという精神の持ち主は、どんなに辛いことに遭遇して絶望しても、
それに負けない強さを持っている。
私が経営者として尊敬している人物に、住宅企業の草分け的存在であるミサワホームの創業者、三沢千代治氏がいる。
彼は好奇心とアイデアにあふれた社長である。わずか29歳の若さでミサワホームを創立し、
そのアイデアを発揮してプレハプ住宅を世に売り出し、建築業界を驚かせた。その後33歳で史上最年少で東京株式市場に上場して世間をアッといわせた。
それほどの成功を手にした人物だが、彼にも絶望のどん底に落ちた時期があったという。

三沢氏の大学生活の後半は病院のベッドの上だった。
大学4年の23歳のときに結核を発病し、かろうじて大学は卒業したものの、就職などは夢のまた夢。
長い病院生活が続いたのだ。
発病したときは、ある日突然、大喀血をして倒れ、洗面器いっぱいもの血を吐き、
体中の血を入れ替えるほどの輸血をしたという。
だが、医者は助からないと見放したそうだ。「今夜が危ない」と医者が母上に話しているのを、
三沢氏はベッドの上で聞き、「これで俺一の人生も終わりか」と思ったという。
医者が見離してから五日目、三沢氏はベッドから落ち、
その落ちた瞬間に肺につまっていた血の塊が口から飛び出し、奇跡的に一命を取り留めたのだという。
一年半にわたる病院での闘病生活を余儀なくされたことは、若い身には残酷だった。
周りの友人たちはみな就職していっぱしの社会人になっていくのに、一人ベッドの上で悶々と過ごさなければならなかった。

だが、三沢氏がただ者でないのは、このときにわかる。
彼はベッドの上で仰向けになり天井ばかり見続ける日々のなかで、
ある日ふと、「柱は何のためにあるのだろう」と疑問に思ったのだ。
さらに「梁は何のためにあるのか。柱や梁がなくても家は造れるのではないだろうか」と思い立つのだ。
そして「そうだ、柱や梁のないすっきりした家を建てよう」と考え出したのが「壁と壁を接着剤でくっつける六面体の家」だった。
「木質パネル接着工法」として特許もとった。
そして、退院してから、このアイデアを大手建設会社に売り込みにまわったが、どの企業にも相手にされなかった。
そこで、学生時代からの親友である山本幸男(後にミサワホームの専務)とミサワホームを興し、短期間で大企業にまで成長させたのだ。
彼はその後、あの一年半の辛い入院生活を振り返って、
「あのときほど私の人生にいろいろなものをもたらしてくれた年月はなかった」と述べている。
さらに、「病気のおかげで人の世や人情がはっきりと見えるようになった。
ただ明るいだけの人生、陰りを知らない人生では人情の機微などわからない。
人は一度、とことん絶望することも必要だ。そこで腹が据わり、開き直りも生まれてくる。
人生が豊かになり自分も強くなれるのだ」
病気で死の一歩手前までいった人は、「だめもと」という開き直りから、
しばしば素晴らしいアイデアや力を発揮して、素晴らしい仕事をすることもある。
人間、とことん絶望しても、いいことがあるのだ。

いかがでしたか?
ちなみに、三沢千代治氏は、発病した当時、日本大学の理工学部建築学科で建築工学を学んでいたそうです。
長期入院することがなければ、「柱は何のためにあるのだろう」と疑問に思うこともなかった、ということになるのかもしれませんね。
いま現在、絶望の最中にあっても、やがて報われる日がくる、そう思いたいものです。

 


『楽天的になれる本』
斎藤茂太/著 本体1,000円 ISBN:978-4-8454-0988-4
嫌なことがなかなか忘れられない。
人の顔色ばかりうかがってしまう。他人と比較しては落ちこんでしまう。
でもそれはあなただけじゃない。
「失敗したっていいじゃないか」
上手な気持ちの切り替え方をモタ先生が伝授します。
目次
1章 人生を楽天的に変える言葉
2章 コンプレックスをプラスに変える言葉
3章 嫌な気分から抜け出す言葉
4章 仕事のストレスに負けない言葉
5章 人間関係がうまくいく言葉
6章 心が軽くなる言葉

 


著者について
斎藤茂太(サイトウ シゲタ)
1916年東京生まれ。慶応義塾大学大学院医学研究科で精神医学を専攻。
医学博士。精神神経科・斎藤病院名誉院長として、
悩める現代人の「心の安らぎコンサルタント」として、
また、日本旅行作家協会会長、日本ペンクラブ名誉会長など多方面で活躍。
2006年11月逝去。