モロゾフとコラボレーション!?

こんにちはKKロングセラーズの真船壮介(まふまふ83)です。

数か月前、あの有名な洋菓子会社「モロゾフ」さんの広報担当の方から

『企画のお手本 VWビートルによる発想トレーニング副読本』
(西尾忠久 著/KKロングセラーズ刊)

を一部抜粋して陳列に使ってもよろしいでしょうか?」とお電話がありました。

つまり、
モロゾフさんは、2016年からフォルクスワーゲン社さんとバレンタインチョコのコラボをおこなっていて、
2021年のバレンタインデーには、その書籍の1ページ抜粋したものを、チョコの隣に飾りたいというもの。

いよいよバレンタインデーが近づき、
どんな風に展開されているのだろうかと、
新宿にある伊勢丹の6階
バレンタインデー特設コーナーに行ってきました。

やはりまわりは女性だらけ!
というか、「バレンタインデー特設コーナー」に足を踏み入れるのもお初。

キョロキョロと
モロゾフコーナーを探す、挙動不審な一人のおっさん。

しまった、ダウン脱いでおけばよかった!
汗が止まらない。
ますます怪しいおっさんだと思われるではないか。
ますます汗が止まらないではないか。

そうこうしていると、

おお!ありました!!

おおおおおおお!!やはりかっこいい!

2019年に「ビートル」の生産は終了しましたが、そこには世界中で愛された、初期の頃であろう
「ビートル」たちがチョコレートとなり見事に輝いていました!

車好き少年だった私はフォルクスワーゲンの「ビートル」」の絵を書きまくっていた記憶があり、密かに興奮!

「あの、写真を撮ってもよろしいでしょうか、あの、買いますので」と
緊張しながらお願いすると、快く承諾してくださった販売員の女性。
写真を撮りやすいようにと、ショーケースの上のものを、どけてくださる心遣い。

フォルクスワーゲンのミニカー付きのチョコレートを一つ購入してきました。

あ、チョコの隣に、しっかり、弊社の書籍の一部が抜粋され、展開されていましたよ!!

「これってモロゾフとKKロングセラーズのコラボじゃね?」
と勝手に思いながら、ニヤニヤ。

もう少し見ていたかったけど、
長居は禁物。
ニヤついた大汗かいてるおっさん。
本当に不審者だと思われてしまうので、後ろ姿引かれながら退散。

2月14日の日曜日までだと思いますが、
新宿の伊勢丹以外にも、全国百貨店のモロゾフさんで見つけることができるかもしれません
*下記、ご参照ください。
http://www.morozoff.co.jp/quality/valentine_cpn/shoplist/

モロゾフとのコラボ?しているKKロングセラーズの1ページ
ぜひご覧になってください(笑)

それでは!

〔文・写真/KKロングセラーズ 常務取締役 真船壮介(まふまふ83)〕

 


『企画のお手本 VWビートルによる発想トレーニング副読本』
西尾 忠久/著 本体1,000円

ISBN-13: 978-4-8454-5009-1
造本:新書

内容紹介
伝説的な名企画とされるフォルクスワーゲン(VW)の往年の広告を、広告の教材として紹介。
アイデアいっぱいの名広告たちは、新しい発見をつかむための素晴らしいヒントに。
企画を生みだす、視点の変え方や企画力、創造力など——もう肩ひじ張って考える必要はありません。
くつろいで、ちょっと視点を移動してみてください。
この伝説的なVWの名広告は、新しい発見をつかむための素晴らしいお手本となるはずです。

 

著者について

西尾忠久(にしお ただひさ、1930年6月9日 – 2012年7月28日
日本のコピーライター、評論家。
鳥取県鳥取市出身。関西大学経済学部卒。
大学在学中、谷沢永一主宰の同人誌『えんぴつ』に開高健らと参加。
在学中に、三洋電機のハウスオーガン(PR誌)の文筆家として入社。宣伝部に配属されると共に、家電向けPR誌の編集を担当。
未開だった日本の産業界・広告界でコピーライティングの実践をおこなうべく、また当時アメリカで主流になりつつあったクリエイティブ手法、ノン・グラフィックを創始したことで知られるDDBのクリエイティブシーンを松本善之助らと、共に日本で初めて紹介した。
1960年代には蟻田善造、梶祐輔らと共に、日本デザインセンターにコピーライティングのチーフとして就任。鈴木康行らの部下を育て上げる。その後は1964年に広告制作プロダクション、アド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを設立し、1969年まで同社社長を務める。
また1970年代頃までは、アメリカならびに諸外国のクリエイティブシーンやそれに携わる人物を紹介する一方で、以降はモノに関する書籍を多数執筆している。
日本の広告史に大きな貢献を果たしたことから、2003年に東京コピーライターズクラブの名誉殿堂入りを果たすと共に、アド・エンジニアーズ社顧問の傍ら、また多摩美術大学で講師として、DDBなどの海外広告代理店のクリエイティヴから学んだ、広告コンセプトについての概論を40年近くにわたって、講義を担当した。
その傍ら、池波正太郎の時代小説鬼平犯科帳をこよなく愛し、鬼平に登場する史実について、寛政重修諸家譜や当時の切絵図等の膨大な資料を逐一調べ直した。鬼平関係の著書も晩年は多い。
2012年7月28日、食道がんにより死去。82歳没。