西郷輝彦10代、20代のころは否定し、30代、40代では半ば開き直ってきた。ところが50代に入って60代を目前にして今までにないほど自然体で素直に「生き方下手な自分」を受け入れられるボクがいる。「迷ったら前に進めばいい。自分に正直な決心をすればいい。人生に偽を言うな」と両親に言われ続けてきたボクが選んだ生き方は、まさしく偽を言わなかったことでもある、と思いたい。プロローグ――「泣いてる場合じゃないんだよ」第1章 宿命――生まれ変わった16歳のあの夜第2章 あきらめない生きざま――東京は近くて遠かった第3章 スターダム――「君だけを」から「真夏のあらし」第4章 苦悩――鬱症状とコンプレックス第5章 喪失――人間不信、そこにいくつかの訣別があった第6章 五人の我が子――生涯守っていくもの第7章 光明――音楽をあきらめることなどできなかった第8章 役者人生――めぐり会いが「次の自分」を生んだ――花登筐・森繁久彌第9章 生き方下手、そしてあふれる感謝――だから前向きに進んでいけるエピローグ(あとがきにかえて)――突き進むこれからの半生に向けて★ちょっとだけ中身見せちゃいます★◎プロローグ――泣いてる場合じゃないんだよ「西郷さん、2007年にはいよいよ還暦ですね」 「ん? ええっ?」 時間の流れとは実に不思議なものだ。ボク自身がまったく気にせず、自覚もしていないときは60歳になるなんて自分にとってはどうでもいいことだったのに、周囲から相次いで「……ですね」などと話し掛けられると、俄(が)然、リアリティーが増し、襟を正してしまう。だからと言って、生活が急に変わるわけでもなく、ボクはボクのまま。ようは気持の持ちようなのだと思う。 気がついたらボクは還暦を迎えるトシになっていた。半生の44年間は歌と芝居の世界で生きてきたのだから、もはや芸能界はボクの住家と言っても過言ではないだろう。脇目もふらず、と言いたいところだが、現実はちがっていて、横道に逸れそうになったときもあったし、手痛い失敗もしてきた。けれど、歌と芝居だけは忘れなかった。声を大にして言える。ボクは決して音楽と芝居をやめようと思ったことはなかった。 ボクは短気なのでいったん切れてしまうと、相手と徹底的にやり合ってしまう。西郷輝彦(今川盛揮)という人間と長くつきあってくださった方はよくご存知のことだ。その本質の部分は今でももち続けていると思う。しかし、自分でも驚くことだが、そこにたどり着くまでの道すじが大きく変わった。若い頃は、相手を1カ月単位で判断してしまっていた。そうしないと生きていけない自分だったし、自分の精神が持ちこたえられないときが長く続いた。 今はちがう。人を見るときは少なくとも2年先を見通して判断するようになった。仕事でミスをしても、「大丈夫、これからの2年でしっかりとできるようになるんだ」と無理なく思えるようになった。不思議なもので、自分だけの変化に伴って、周囲にさまざまな人たちが集まってきてくれるようになった。それも芸能界ではなく、IT関係やジャーナリストの世界の若い人たちもワイワイやりながら一緒に仕事や作業を進めてくれるようになった。 こっちがピリピリしていない分、周囲の人たちも同じ空間を共有することがラクになったのだろうか。自分でも他人の話をよく聞くようになったと思う。「聞き上手」と言われることすらある。こんなボクの姿を若い頃に知り合った人たちは予想しただろうか。その意味では大きく変わったのだろう。 はっきりと自覚しているのは、自分を「おじさん」と認めたことだ。ここ数年のことだが、それ以前は素直な気持では「おじさん」になり切れず、若い人たちの話も率直には聞き入れられなかったと思う。今の自分の基礎はそこから始まった。どんどん気持がラクになって、無理をすることも格好つけることもなくなった。「今さらジタバタしても始まらないよ」といった気持が心の中に生まれると、それが次は余裕につながり、本来の仕事にも反映した。 そう、自覚と認識が心の余裕につながり、そして自信にたどり着くことができた。かれこれ10年以上は「これからの自分はどうしたらいいのだろう」と苦悩していたけれど、今はもうまったくそれがなくなった。歌と芝居の両面ではっきりと道すじがつき、晴れ渡った気持ちでいられる。それを確信、と言い換えてもいいかなと思っている。 デビューして半世紀近くのあいだ、常々、言われてきたのは「西郷君、キミ、本当に生き方がヘタだねぇ」だった。仕事関係の人たちは無論、両親や姉にも口を酸っぱくして言われてきた。「もっと上手に振る舞いなさい。そんなところで頑張ることはないんだよ」と。10代、20代のころは「そんなことはない」と頑張り続けた自分が、30代、40代になって「そんなこと言われたってこれが自分なのだからしょうがないだろ」と半ば開き直り、それでも踏ん張り続けてきた。ところが50代に入って、60代を目前に控えた今、今までにないほど自然体で素直に「生き方下手な自分」を受け入れられるボクがいる。涙をふいたら 素直になろう今この時を 笑い飛ばして理不尽だらけの 世の中だけど君がそばにいる事だけ 信じられるよ涙をふいたら 優しくなろう不器用でもいい 愛するために金がもの言う 世の中だけど君を幸せにして見せるさ きっと きっと きっと(「泣いてる場合じゃないんだよ」 作詞・西郷輝彦、作曲・西郷輝彦&辺見鑑孝) 平成15年暮れに作ったこの詞は、翌16年2月に「sora ―空―」とカプリングされ、メディア化を果たした。息子・鑑孝と共同で作り上げた初めての楽曲である。ボクは、音楽やデザインにおける鑑孝のセンスを評価している。ボクとは違う個性を持ちながらも、部分的には重なり合うカラーを備えているから、ボクも無理なく作っていける。自分の息子だからと言うよりも、そのセンスにボクの持ち味を溶け込ませてみたい、といった思いが結実している。 今回、自分の半生を冷静にふり返ってみると、ああすれば良かった、こうすれば良かったと痛感することも多かった。しかし、自分がそう行動したことで今に結びついていることをあらためて実感した。ボクの決断が人を傷つけたことも、自分自身もまたひどく傷ついたこともたくさんあった半生だった。しかし、それらがあって今の自分が出来上がっていると悟った。人生、ムダなものは何ひとつないと思いたい。 「泣いてる場合じゃないんだよ」の歌詞には、若い頃のボクでは絶対に書かなかったであろう内容が詰め込まれている。トシをとったのだから、それは当然だろうが、無意識にこういった詞を書いていることが、自分が変わったことのなによりの証、ともいえる。 こういった自分のありようは、他にもさまざまなところで現れてくる。いろいろな角度から人を見られるようになったし、音楽も芝居も新しい分野へのチャレンジに、以前以上に意欲的になった。一昔前なら、ほんの少しためらい、ちょっと考え込んでいたことが、今は貪欲に取り組んでいける。平成17年に出演した「恋愛(LOVE)ホテル」、18年の舞台作「アパッチ砦・戸惑いの日曜日」などは、まさしくそうした行動のひとつだ。 しかも、幸せなことに結果がついてきている。ボク自身は若い頃から新しいことへの挑戦が大好きだったと自覚しているが、20代、30代は結果の伴わないことの方が多かった。もちろん成果が出ないときはだれにでもある。運やツキは流れ次第といった面もあるし、あくまでも数字で評価されてしまうこの世界では、テレビ視聴率やチケットの売り上げなどが芸に対する本人の努力とは無関係に動く仕組みもある。 それでも結果がついてこないときはひたすら苦しい。ただただガマンするしかないときだってある。だから、今現在の「がんばれば、成果が出る!」状況は、たとえようもなくうれしい。次に向かう気持がさらに湧いてくる。 怒涛の半生、涙あり、笑いあり、怒りありの大スペクタクル巨編! こんなに楽しんでしまっていいのかと思えるほどの日々だった。けれど……まだまだこれは続くのだ。芝居も音楽も、これから、これから! だからこそふりかえる人生。まさしく泣いてる場合じゃないんだから! なにを手はじめに書いていこうか迷ってこの書をスタートした。長い旅だけれど、「コイツ、ヘッタクソな生き方やなあ」と笑いながら付き合っていただければ、ボクは本当にうれしい。
生きざま死にざま
男のダンディズム
トップページに戻る
Tweets by KKLONG_JP
垣本充・大谷ゆみこ共著『完全菜食があなたと地球を救うヴィーガン』が中田敦彦さんのYouTube大学に取り上げられました!
メールアドレス パスワード ログイン情報を記憶
Copyright © 心を豊かにする出版社 | KKロングセラーズ All rights reserved.